質問への回答その2「オランダ・フィンランド・アメリカから学ぶ教育の未来」

投稿日: カテゴリー: お知らせ

先月Learning Creator’s Labのオープンラボとして、「オランダ・フィンランド・アメリカから学ぶ教育の未来」を開催させていただきました。

当日、みなさんからの質問に対してお返事をできませんでしたので、いただいたご質問に対してこちらで回答していきたいと思います。かなり長くなってしまいましたので、下記のように2回に分けてご紹介します。昨日1)について回答いたしましたので、本日は2)各国の教育に対する質問についての回答です。

1)各国の教育に対するご質問 ⇒こちらから見れます。

2)日本の教育の未来に対するご質問

 

Q:他国の教育を比較し逆に日本の教育はどこがよいと感じますか?

藤原:何がなくとも日本のOECDなどのスコアは世界トップレベルで、先生が優秀なこと。先生のマインドが変われば、大変容の可能性があると本気で思っています。

梅田:とにかく質の高い教育です。日本には教員が100万人いると言われています。どのような地域においても、そのすべて教員が一定の質を担保していること、またこれだけの大規模数の子供たちを一定の高いレベルで修業させていることは、世界規模でみても驚異的な事実です。

甲斐崎:日本全国どこに行っても一定水準の教育を受けられること。そしてそのコンテンツはかなり(世界的に見て)高度であること。教員の質が異常に高く、教師教育が充実していること。そしてそれは年々レベルアップしていること。(私の子ども時代の先生に比べれば今の若い先生は超優秀です)一斉授業において、同一内容を一律に多数の児童に教授する技術のレベルが半端なく高いこと。学校環境が良好で、教育支援のための備品、教材が潤沢にあること。学校が担う役割が、教育だけではなく、地域のハブ役もこなしていること。学校が地域文化の発信源になっていること(特に地方)・・・しかしこれらは良いところでもあり、悪いところにもなりうります。諸刃の刃ですね。

 

Q:教育にPCやタブレットが取り入れられたことのメリットとデメリット

藤原:メリットは、表現の幅が大きく広がること(アニメーション、ビデオ、プログラミング、ロボティックス、パワーポイント、表計算ソフトなど)と記録がしやすくなること(写真・ビデオ)でしょうか。また、アダプティブラーニングなどの分野でもうまく導入すれば、教師の手間を減らしながら子どもたちが自立的に学習するための助けになります。デメリットは、実際に自分の子どもがプロジェクトで使用していましたが(現在も)、小さいころからあまり検索に頼りすぎると思考が浅くなる可能性があると感じます。特に日本では日本語の良質な情報ソースが少ないので導入には注意が必要かと思います。

梅田:メリットは、子供たちの内発的動機を引き出すための立体的かつ動的な仕掛けをしやすいことや教員の負担軽減(保護者とのやり取りなどもフルICT化されています)も挙げられますが、国の基幹産業である知財産業とくにICT産業に若年時から親和性が生まれやすくなる(将来的な利用者、開発者共に)こともあると思っています。デメリットは、ICTツールに頼ることで概念的思考の発達が従来に比べ伸びにくい可能性があることです。(数学における概念的思考力の低下が社会問題になっています)

 

Q:日本の教育におけるシステム(制度上)の課題について思うことを教えてください。

藤原:制度上かわかりませんが、高齢化社会を迎え、しかも低成長が続いているので、大人・高齢者も自分のことで精いっぱいで、次世代の育成に目が回らない事態になっていることは大きな課題だと思います。フィンランドのように次世代育成の大義名分が必要ではないかと思います。

梅田:たくさんありすぎます(笑) 強いて挙げるとすると、現場へ責任は負わすが権限を与えない中央集権的官僚システムと、制度中心設計、つまり制度のための制度であること、教育を聖域として捉え、他の社会システムとのつながりを断絶して思考してしまうきらいがある”教育界”の独特な閉鎖性でしょうか。

甲斐崎:日本の公立学校は、上意下達の教育機関であること。文科省→都道府県教育委員会→各自治体教育委員会→校長会→各校管理職とお上の意向に沿いながら教育を行っているのが残念なところ。子どもや保護者抜きで。文科省が施行した学習指導要領は教育の可能性を感じますが、学校に着く頃には、「こうあらねばならない」という単なる縛るためだけのものになってしまいがちです。オランダは、国の学習指導要領はありますが、各学校に教育の理念や方法は任されています。各校とも、校長をリーダーに各教員がビジョンを共に目指し、保護者にも共同参画してもらいながら、子どもたちの学びを考えていきます。制度上変えていかなきゃいけないのは「教育委員会」かなぁと思います。その他にも教育の自由を妨げているのは、国定教科書、全国学力状況調査、学校施行規則にある学年編成、学級編成、教科制などでしょうか。一律にそろえるのは日本の教育のいいところでもあり、弊害も多いです。時代が変わるにつれ、弊害は一層目立ってきましたね。

 

Q:自立した他人を尊重するということが大切だと思いますが、日本における人間関係において、会社でも、地域でも、親子でも、支配・被支配という関係性が、これらの教育の実現をさまたげるように思います。日本でこういった教育を実現するために、親の価値観をどのように変えていったら良いでしょうか?

梅田:親の価値観をどのように変えていくかについてですが、あえて申し上げるのなら二つあると思います。ひとつは長期的な学び幅を軽視し、短期的な損得勘定での価値判断をしないこと。そして何よりも対話的な哲学を親子関係の中に持つことを心掛けることだと思います。質の良い対話を成立するには、自尊他尊を基底とした多様な価値観の対等な交換が必要になります。(子どもであっても価値観は親と対等!)

原田:築いてきた価値観を変えるのはなかなか難しいことですよね。自分のことを考えると、自分の価値観が変わるときというのは、「何かがおかしいな」と思うと同時に「何かその方が良さそうだな」「楽しそうだな」と感じることから始まるのではないかと思います。ですので、良いモデルを示していく、そっちの方が良さそうだな、というものを形にしていくことが必要なのではないかと感じています。

甲斐崎:簡単です。親が教育を受ければいいんです。学び直しです。学ぶ側になって、どういう学び方がいいか体験し考えることです。人は、自分が受けた教育を再生産してしまいますので、自分のお子さんを教育するときに、自分が親や学校に教育されてきた通りにしてしまいます。支配・被支配という関係性で教育を受けてきた方は、自分のお子さんにもそのような関係で教育を行いがちです。それを改善するためには、親自身の学びを変えるしかありません。学び直してください。自分が変わらないと人は変えられません。これはいい学びだと思うものを探し、体験することです。また、親が学ぶ姿から子どもも学びますよ。

藤原:親も自分が築いてきた価値観を変えることは本当に難しいことだと思います。私自身、できているかどうかわかりませんので、なにか偉そうなことが言える立場にもありません。まずは、「自分が育ったように、自分は子育てしがちである」ということに自覚的になり、今の時代というものを理解しようと試み(沢山学び)、その上でできる限りのことをするしかないのではないかと思っています。でも、一方で子どもって意外とタフなんではないかとも思います。愛情をこめて一生懸命育てたら、多少ミスしても取り返せると(自分への言い訳も込めて笑)思っています。

 

Q:固定的な質問だと思うのですが…。「やらない子」に対する対応をもう少し知りたいです。(やらない自由、でも授業をさまたげる場合はゆるさない、というのがすごく納得できたので)

梅田:その子の物語(ナラティブ)に深く寄り添い、内発的動機からのモチベーション駆動を教員がデザインしていくことはお話をしましたよね。では、それでもやらない子はどうするかというと・・・最後の最後は諦められます。留年です。フィンランドの教育における平等は、機会の平等(fair)であって結果の平等(equal)ではありません。言い換えると、度重なる対話の結果による本人の「やらない」という意思を尊重しているとも受け取ることができます。(もちろんそうならないように、教師は最善を尽くします)

甲斐崎:個人の責任です。小学校卒業時に、将来の進路に関わる国の統一のテストがあるのは子どもたち自身が知っています。そこで自分はどう選択し、決定するのか自分で考えなければいけないんです。先生も相談にはのりますし、三者面談で保護者と一緒に考えたりもします。でも、やはり最後は子ども自身の意思です。ですので、授業中に課題をやらない子、ふざける子がいても、それはその子自身の意思として尊重されます。チャンス(機会)はいくらでも用意されていますが、それを「やらされる」ことはないのです。

 

Q:「日本の公教育が大きく変わっていくために必要なこと」は何だと思いますか。

藤原:一人ひとりが小さくてもアクションを取っていくこと。遠回りなようで、それが一番近いと思います。

梅田:投票!投票!投票!教育を変える強力な手段は、保護者層の議員選挙投票です。そして、一人ひとりが理想をあきらめず(これが大事)に行動していくことだと思います。個人的には保護者と教員の学びの場であるPTAに可能性を感じています。

原田:まず、危機感を持った人たち、ビジョンを共有できる人たちが場を創っていくことだと感じています。教師や学校だけではなく、子どもたち、保護者、地域とともに。それが良いものであれば必ず広まっていくと信じています。制度が変わるのはその後になるのでしょう。時間がかかることだけれど、信じて動き続けることだと思います!

甲斐崎:各自治体の教育委員会の刷新、有能な人材の育成。保護者は学校じゃなくて、学校を管轄する各自治体の教育委員会にガンガン陳情しましょう。学校へは、授業参観ではなく、授業「参画」を企んでいきましょう。先生方は、子どもが一番学びやすい場づくりに徹すればよいのではと思います。シンプルに考えたほうがいいです。先生の教えやすさより、子どもの学びやすさを考えることだと思います。お国柄とかは関係ないと思います。

 

Q:儒教の国日本で、イエナプランやフィンランドの教育はどのようにとり入れられうるのか

梅田:儒教を古典的倫理観の核心においている中国とは異なる様相を呈しているのが日本であり、日本での儒教の立ち位置は「思いやり」といった価値観(王, 2012)を置いているようです。そのうえでお答えすると、フィンランドは社会から強く自立を要請される父性文化であり、公教育は社会に出る前までの「安全な環境」な場といえます。対して日本は「空気を読む、思いやる」といった母性文化であり、そのままフィンランドの教育をもってくると弊害の方が多く出てしまうかもしれません。子どもたちへの自律・自立を形成する取組みと組み合わせたデザインが望ましいと考えます。

甲斐崎:オランダにおいて、五常(仁・義・礼・智・信)は、日本より大切にされていると思います。日本は儒教というより儒学であり、君臣の関係、師弟の関係、親子の関係など、上下関係の秩序を求めるところが強く、本来の儒教の教義からはちょっと離れているような気がします。「儒教の国日本」という前提がそもそも違うような気がしています。オランダの教室、家庭、社会などでは五常がしっかりと大切にされていると思います。なので、五倫の関係もとても良好です。儒教とイエナプランは親和性があると私は考えます。

藤原:梅田さんも指摘する通り、欧州、米国、日本の「個」に関する考え方や感覚はそれぞれ大きく違います。なので、日本の「個」の在り方について再定義したうえで、取り入れないと危険が伴うと感じます。故河合隼雄氏が「欧米は父性原理に基づき、能力差・個人差の存在を前提としていて、各人は自らの能力の程度を知り、自らの責任において、自らの地位を獲得していかなければならないが、そういった厳しさは日本人にはおそらく、なかなか理解できないものであろう(母性社会日本の病理)」と指摘しますが、これは数年海外に住むと実感値となります。こうした厳しさに立脚しない(できない)社会における「個」の理論の導入には注意が必要と感じています。

 

長文お読みいただき、ありがとうございました!

 

<お知らせ>

梅田先生が、フィンランドの話をじっくりしてくださる機会があります。ぜひご参加ください!

3月16日 ーフィンランドに学ぶ教育の未来ーフィンランドのお菓子つき
http://finland-edu.peatix.com

3月23日(金)現地の教育ってどう?子供に直接聞いてみよう―フィンランドに学ぶ教育の未来 part2― 【現地の親子と一緒に対話】

https://www.facebook.com/events/600639240276143/

イエナプラン関連の情報はこちらから。今年の夏にオランダ現地の研修があります。

オランダ現地で、1週間の研修、3ヶ月の研修を予定しています。
http://news.japanjenaplan.org/?eid=59

佐久穂町で、2019年に開校するイエナプランスクール設立準備財団の情報はこちらから
http://sjsef.jp/

Learning Cretor’s Labの母体となるこたえのない学校では、小学生中高学年向けのプログラムの募集中です。